一人で取り組んでいるときは、ある程度うまくできる。
自分のペースで試行錯誤し、自分が納得できるまでやり直す。失敗しても、自分で原因を考えて修正できる。
ところが、複数人で一緒に取り組むことになると、急に難しくなる。
相手のペースに合わせなければならない。決められた日までに一定の状態に仕上げなければならない。その場で周囲の状況を見ながら、自分のやり方も調整しなければならない。
そして、うまくできているのか自信がなくなってくる。
これは、以前ある共同活動に参加していたときに経験したことだった。
今振り返ると、当時の失敗は単に「準備不足だった」「責任感がなかった」というだけではなかった。
もちろん、自分自身の意識の低さや準備不足はあった。
しかし、それと同時に、一人で取り組むことと、複数人で一緒に取り組むことでは、必要になる能力そのものが違うということにも後から気づいた。
一人で取り組んでいるときは、うまくできている感覚があった
当時、自分なりに一つの活動に取り組んでいた。
期限が決まり、それに向けて普段以上に準備や練習の回数も増えていった。
一人で取り組んでいるときは、自分が目指している状態に近づけられているような感覚があった。
「このやり方なら、自分が納得できる」
そう思える瞬間もあった。
ところが、複数人で一緒に進めるようになると、その感覚が崩れてしまう。
一人のときとは違い、周囲の動きやタイミングを意識しながら、自分自身も調整しなければならない。
その中で、
- 「思っていたようにできない」
- 「周囲とタイミングが合っているのかわからない」
- 「自分だけ遅れているのではないか」
と感じるようになった。
自分では、周囲の進み方が少し早いように感じることもあった。
しかし、本当に周囲のペースが早いのか、それとも自分が遅れているだけなのか、自信が持てない。
そうなると、本来取り組むべきことに集中することも難しくなっていった。
「できる」と「自分が納得してできる」は違った
自分には、その活動に対して一定のこだわりもあった。
最低限のことをこなすだけなら、できないわけではない。
しかし、それでいいとは思えなかった。
自分の中では、
「できればいい」ではなく、「自分が納得できる状態でやりたい」
という気持ちが強かった。
だから、周囲から見れば「十分できる状態」に見えていたとしても、自分自身はそう思えなかった。
「この状態で人前に出たくない」
「このまま進めたくない」
「もう少し自分の中で完成させたい」
という気持ちが強くなっていった。
しかし、共同活動には予定がある。
自分だけの都合で、その予定を止めることはできない。
自分の中ではまだ準備ができていないのに、全体は先へ進んでいく。
このズレが、どんどん苦しくなっていった。
一緒に取り組むことには、作業以外の難しさもある
今振り返ると、問題は実際の作業だけではなかった。
活動の合間や終了後など、周囲と話す機会もあった。
周囲の人たちは自然に、
- 「今のはどうだった?」
- 「ここはもう少し変えたほうがいいんじゃない?」
- 「次はこうしよう」
と話している。
その様子を見ながら、自分は何を話せばいいのかわからない。
もちろん、自分から確認することもあった。
「今のやり方で大丈夫だった?」
と聞く。
しかし、相手が気を遣っているように感じたり、はっきりとした答えを得られなかったりすることもあった。
すると、自分の中でさらに疑問が増えていく。
- 「自分はちゃんとできているのだろうか」
- 「周囲はどう思っているのだろうか」
- 「自分だけが変に感じているのだろうか」
- 「今の問題は自分にあるのか、それとも周囲との進め方にあるのか」
こうしたことを、自分の中だけで考え続けることになった。
一人でできることと、複数人でできることは別だった
後になって気づいたのは、個人で準備できているからといって、共同作業も同じようにできるとは限らないということだった。
一人なら、自分のタイミングで止められる。
もう一度やり直せる。
納得できなければ、さらに時間をかけられる。
しかし、複数人で進める場合はそうはいかない。
他の人は進んでいく。
自分だけ止まることはできない。
周囲の状況を把握しながら、自分自身も調整しなければならない。
さらに、必要なときには自分の状態を伝え、相手の意見を聞き、全体の方向に合わせていく必要がある。
つまり、単純に「自分の能力があるかどうか」だけではなく、
- 周囲の状況を把握する
- タイミングを合わせる
- 自分のやり方を調整する
- その場で判断する
- 相手の意見を受け取る
- 自分の状態を伝える
- 必要なときに助けを求める
- 全体の予定に合わせる
といった複数の能力が同時に必要になる。
当時はそこまで整理できていなかった。
ただ、
「自分はまだうまくできない」
と考えていた。
結局、決められていた予定から逃げてしまった
期限が近づいても、自分の状態に納得できなかった。
この状態では参加できない。
そして、参加したくない。
そう思うようになった。
本来なら、そこで周囲に正直に相談するべきだった。
「まだ自分は十分に準備できていない」
「複数人で進めると、うまく対応できない」
「このままだと予定に間に合わない」
「正直、不安を感じている」
そう伝えるべきだった。
しかし、当時はそれができなかった。
結果として、別の理由をつけて、その予定を欠席してしまった。
そして、その後、自分はその活動から離れることになった。
残った人たちは、その後も活動を続けていった。
周囲を失望させたことは、今でも覚えている
後日、関係していた人たちからは怒られた。
そして、心底がっかりしたということも言われた。
当然だったと思う。
自分一人の問題ではなく、複数人で予定を組み、そこに向けて準備していたからだ。
その中で突然一人がいなくなれば、残された人たちに負担がかかる。
当時も申し訳なかった。
そして、時間が経った今でも、ときどき思い出す。
「あのときは本当に申し訳なかった」
と。
その活動に特別大きな影響力があったわけではない。
それでも、関わっていた人たちがいて、決められた予定があった。
だからこそ、自分の中では今でも印象に残っている。
その後、人間関係も少しずつ変わっていった
その出来事以降、しばらく関係者と連絡を取ることはなかった。
時間が経ってから、一部の人とはたまに連絡を取ることもあった。
しかし、それも次第に続かなくなった。
さらに数年後、自分が別の活動をしているときに、偶然接点ができたこともあった。
ただ、それは一時的な出来事だった。
その出来事が終わると、またお互いに連絡を取ることはなくなった。
振り返ってみれば、その頃の関係は少しずつ過去のものになっていったのだと思う。
「自分は集団に向いていない」と考えるようになった
この経験から、自分について一つ気づいたことがある。
それは、
一人で動いているときと、複数人で一緒に動くときでは、自分の状態が大きく変わることがある
ということだ。
一人であれば、基本的には自己責任で収拾できる。
失敗しても、自分でやり直せばいい。
自分が納得するまで時間を使うこともできる。
もちろん、一人で活動していても他人が関わっていれば、失敗によって信用を失うことはある。
それでも、自分のペースで進めやすい。
ところが、複数人で一緒に取り組む場合は、自分一人のペースでは進められない。
他の人がいる。
決められた予定がある。
相手の都合がある。
自分がまだ準備できていなくても、全体は先に進んでいく。
そこで「自分が納得できていない」という状態になると、急に身動きが取りづらくなる。
「協調性がない」とだけ考えなくてもいい
この経験から、
「自分は協調性がない」
「集団行動が苦手だ」
と結論づけてしまうこともできる。
しかし、それだけでは少し違うようにも思う。
今回難しかったのは、単に人と一緒にいることではなかった。
複数人が同時に動いている状況の中で、自分自身もその場で判断し、調整し、合わせ続けることだった。
しかも、自分には「こうしたい」という一定の基準やこだわりがあった。
その基準を守ろうとすると、周囲に合わせることとの間で葛藤が生まれた。
だから、
「自分は人と関われない」
と考えるより、
「自分は、自分のペースで調整できる環境のほうが力を発揮しやすく、リアルタイムで他人と調整し続ける共同作業では負荷が高くなりやすい」
と理解したほうが、実際の経験には近い。
これは大きな違いだと思う。
同じような人が考えておきたいこと
もし、
「一人ならできるのに、複数人になると急に難しくなる」
と感じているなら、単純に「自分はダメだ」と考える必要はない。
まず、自分が何に負荷を感じているのかを分解してみるといい。
1.自分のペースで進められないことが苦手なのか
期限や他人の予定に合わせること自体が苦しいのか。
2.その場で判断することが苦手なのか
「今どうだった?」
「ここを変える?」
といったリアルタイムのやり取りに戸惑うのか。
3.自分の出来に自信がない状態で人前に出ることが苦手なのか
「完成していない自分を見られたくない」という気持ちが強いのか。
4.自分のこだわりと、全体に合わせることが衝突しやすいのか
「自分はこうしたい」と「全体としてはこう進めたい」の間で動けなくなるのか。
5.単純に経験不足だったのか
個人で準備する経験はあっても、実際に複数人で進める経験が足りなかった可能性もある。
こうして分解すると、
「自分は集団が苦手」
という一言では片づけられないことが見えてくる。
共同作業で重要なのは「完璧になってから伝える」ことではない
今回の経験で特に大きかったのは、自分の中で問題を抱え込んでしまったことだった。
本当は、
「まだできていない」
「自信がない」
「このままだと厳しい」
と感じた時点で、周囲に伝える必要があった。
しかし、自分の中では、
「もう少し自分で何とかしてから相談しよう」
となってしまった。
そして、自分だけでは解決できない段階まで問題が大きくなってしまった。
共同作業では、完成してから報告する必要はない。
むしろ、
- 「ここがまだできていません」
- 「ここで困っています」
- 「この部分について判断できません」
と早い段階で共有することのほうが重要な場合がある。
自分一人で抱え込むことが、必ずしも責任感ではない。
過去の失敗を、ただの後悔で終わらせない
当時の対応は、今振り返っても良いものではなかった。
本当はもっと早い段階で周囲に相談するべきだった。
「自分はまだできていない」
「このままでは予定に間に合わない」
「この状況がかなり苦しい」
と伝えるべきだった。
結果は違ったかもしれない。
それでも、当時の自分にはそれができなかった。
だからこそ、この経験から学べることがある。
それは、
「失敗しないこと」ではなく、「自分が危なくなっている段階で、それを周囲に伝えること」
だと思う。
自分の中で限界まで抱え込んでから突然離れるのではなく、
「今かなり厳しい」
「このままだと間に合わない」
「自分はこの部分が苦手だ」
と早めに伝える。
それだけでも、共同作業の結果は変わる可能性がある。
あのときの自分を、今の自分から見てみる
過去のことだからこそ、今なら当時とは違う見方ができる。
あの頃の自分は、活動に対する意識が十分ではなかった。
準備も足りなかった。
複数人で進めるために必要な能力も足りなかった。
周囲とのコミュニケーションも上手く取れなかった。
そして、予定を前にして逃げてしまった。
これは事実として認めていい。
でも同時に、
「なぜ自分はそこまで追い詰められたのか」
も考えていい。
一人でできることと、複数人でできることは違った。
自分なりのこだわりもあった。
周囲のペースに合わせることにも苦労した。
その場でコミュニケーションを取ることも難しかった。
そして、「できていない自分」を周囲に見せることへの抵抗もあった。
いくつもの問題が重なっていた。
だからこそ、その経験を単に、
「自分は無責任だった」
だけで終わらせる必要はない。
「自分にはこういう状況で負荷がかかる」ということを知るきっかけになった、と捉えることもできる。
まとめ
一人ならできる。
でも、みんなで一緒に取り組むと、なぜかうまくいかない。
その経験があると、
「自分は協調性がないのではないか」
「人と一緒に何かをすることに向いていないのではないか」
と思ってしまうことがある。
しかし、実際には「人と関わる能力」だけの問題ではない。
自分のペースで進められるか。
リアルタイムで周囲に合わせられるか。
自分のこだわりと全体の都合を調整できるか。
未完成な状態を周囲に見せられるか。
困ったときに早めに相談できるか。
こうした複数の要素が関係している。
過去に共同活動で失敗した経験があるなら、その出来事をただ、
「自分はダメだった」
で終わらせるのではなく、
「自分はどういう環境なら動きやすく、どういう状況になると動けなくなるのか」
を知る材料にしてみる。
過去の失敗そのものを消すことはできない。
当時迷惑をかけた相手がいるなら、その事実も変わらない。
それでも、その経験から自分の傾向を理解し、次に同じ状況になったときの対応を変えることはできる。
それが、過去の失敗を現在につなげる一つの方法なのだと思う。
