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物欲→金銭欲→性欲。強かった欲が消えていった順番

シンプルライフ
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以前の自分には、それなりに強い欲がありました。

「欲しいものを手に入れたい」という物欲。
「もっとお金があったほうが安心だ」という金銭欲。
そして、人間として自然に生じる性欲。

ところが、ある時期から、それらの欲が少しずつ弱くなっていきました。

面白いことに、すべてが一度に消えたわけではありません。

自分の場合は、

物欲 → 金銭欲 → 性欲

という順番でした。

もちろん、欲そのものが完全になくなったわけではありません。

欲しいものがまったくないわけでもないし、お金の不安がゼロになったわけでもない。性欲についても、発生すること自体はあります。

ただ、以前のように「欲を満たさなければ」という感覚がなくなりました。

振り返ってみると、これは欲を無理やり抑え込んだ結果ではなく、実際に欲を満たしたり、現実を経験したりしたことで、執着する必要がなくなったのだと思います。

物欲が消えた理由――所有にはキリがないと気づいた

まず最初に弱くなったのが物欲でした。

自分の場合、欲しいものはある程度手に入れました。

そして、単に物を買うだけではなく、部屋のレイアウトを「自分の理想」に近づけることも何度もやりました。

家具を変えたり、配置を変えたり、持ち物を整理したり。

「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤して、最終的にはかなり満足しました。

これは非常に良い経験だったと思います。

なぜなら、実際に「欲しいものを手に入れて、理想の環境を作ったらどうなるのか」を体験できたからです。

もちろん、満足感はありました。

しかし、ある時ふと思いました。

「これって、キリがないな」

部屋を理想通りにしたとしても、しばらくすると別のものが欲しくなる。

新しい家具が欲しくなる。
もっと便利なものが欲しくなる。
もっと快適にしたくなる。

そして、それを繰り返していけば、いくらでも「次」が出てきます。

そこで感じたのが、ある種の虚無感でした。

「物を買うことが無意味」という話ではありません。

欲しいものを手に入れること自体には、ちゃんと楽しさがあります。

ただ、物を所有することによって永続的な満足を得ようとすると、終わりがない

そう気づきました。

総ては「借り物」なのではないか

さらに考えていくと、もっと単純な事実に行き着きました。

人は生まれたとき、何も持っていません。

そして死ぬときも、物理的には何も持っていけません。

家も、家具も、服も、車も、その他の所有物も、最終的には手放すことになります。

そう考えると、

「所有している」というより、「生きている間だけ預かっている」

と考えたほうが自然なのかもしれません。

どれだけ高価なものを所有していても、それを永遠に自分のものにすることはできない。

そう考えるようになると、「もっと所有したい」という気持ちが以前ほど強くなくなりました。

物を嫌いになったわけではありません。

今でも気に入ったものは大切にします。

ただ、

「持っていなければならない」から「使わせてもらっている」

という感覚に変わりました。

この違いは大きいと思います。

金銭欲が消えた理由――「必要な分はすでにある」と分かった

物欲の次に弱くなったのが、金銭欲でした。

こちらは物欲とは少し違います。

お金には「安心」という役割があります。

お金がなければ生活できません。

病気や失業など、予想外の出来事が起こったときにも、お金があったほうが安心です。

老後のことを考えても、ある程度のお金は必要です。

だから、「お金なんて必要ない」と考えるのは現実的ではありません。

自分の場合も、そこは否定していません。

ただ、生活を実際に経験してみると、

「自分が生きていくために必要なお金には、ある程度のラインがある」

と分かってきました。

現在は生活を維持するための定収入があります。

最低でも半年から一年程度の生活防衛費も確保しています。

固定支出や変動支出についても、かなり低く抑えられることを経験済みです。

国民年金もあります。

つまり、「最低限の生活を維持するためには、これくらいあればいい」という感覚が、かなり具体的になってきました。

すると、それまでの

「もっとお金があれば安心」

という感覚が、

「必要な分は、すでにある程度確保できている」

という感覚に変わっていきました。

お金で未来の不確実性をゼロにはできない

もちろん、老後の不安が完全になくなったわけではありません。

運良く長生きしてしまえば、「お金が足りなくなったらどうしよう」と思う可能性はあります。

しかし、ここにも一つの割り切りがあります。

未来は完全には予測できません。

どれだけ貯金しても、どれだけ資産を増やしても、人生の不確実性をゼロにすることはできません。

だったら、

「不安をゼロにするために、いつまでもお金を増やし続ける」

という生き方にも終わりがありません。

それよりも、

「これくらいあれば普通に生活できる」
「想定外のことが起きても、ある程度は対応できる」
「それ以上については、完全にはコントロールできない」

というところで線を引く。

そのほうが、自分には合っていました。

死んだ後のお金まで自分の責任にはしない

さらに、もし自分が想定より早く亡くなった場合についても考えています。

自分のお金に頼らずに家族が生きていけるようにしておくことは伝えています。

つまり、

「長生きした場合」も「早く死んだ場合」も、ある程度の覚悟をしておく。

そうすると、「何が起こるか分からないから、とにかくもっとお金を貯めなければ」という気持ちが弱くなります。

もちろん、備えることは大切です。

でも、備えには終わりを設定する必要もある。

そうしないと、今度は「安心するためのお金」が、新たな欲望になってしまいます。

性欲が消えた理由――欲求があっても、自分でコントロールできる

最後まで残ったのが性欲でした。

これは当然かもしれません。

物欲や金銭欲と違って、性欲は身体的・生理的な側面が強い欲求です。

だから、完全になくそうと思ってなくなるものでもありません。

実際、今でもまったく性欲が発生しないわけではありません。

ただ、発生したとしても、

「ああ、今そういう欲求があるんだな」

くらいに捉えられるようになりました。

以前よりも、自分の中でコントロールできています。

だから、わざわざ意識しなくなりました。

ここは「性欲を抑圧している」という感覚とは少し違います。

性欲そのものを悪いものだとも思っていません。

ただ、

「欲求が発生すること」と「その欲求に従わなければならないこと」は別

だと分かった。

これが大きいのだと思います。

欲がなくなったのではなく、「欲に支配されなくなった」

ここまで振り返ってみると、実は「欲が消えた」という表現も少し違う気がします。

物欲もゼロではありません。

金銭欲もゼロではありません。

性欲もゼロではありません。

それでも以前と大きく違うのは、

「欲しいから、それを満たさなければならない」

という感覚が弱くなったことです。

言い換えるなら、

欲望そのものが消えたというより、欲望の重要度が下がった。

これが一番近いと思います。

「満たす」ことで「執着」が消えることもある

自分の場合、興味深かったのは、最初から禁欲を目指していたわけではないことです。

むしろ逆でした。

物欲については、欲しいものを買いました。

部屋も理想に近づけました。

金銭については、生活を実際に維持してみて、どの程度のお金が必要なのかを経験しました。

性欲については、欲求が存在することを否定せず、それを自分で扱えることを経験しています。

その結果、

「これは際限なく追いかける必要のあるものではない」

と分かってきました。

だから、自分にとっての変化は「我慢」ではありません。

経験による納得に近いものです。

欲には「必要」と「際限のない上積み」がある

欲そのものを悪者にする必要はないと思います。

物欲のおかげで生活が快適になることもあります。

お金があることで安心して暮らせます。

性欲も人間の自然な欲求です。

問題なのは、

「必要なところを超えても、まだ追い続ける」

ことなのかもしれません。

例えば、

「快適に暮らせる物」が必要なのと、
「もっと所有しなければ満足できない」のは違います。

「生活できるお金」が必要なのと、
「もっとあればもっと安心できる」と際限なく増やすのも違います。

「性欲がある」のと、
「性欲を満たさなければ落ち着かない」のも違います。

欲には、ある程度満たせば終われる部分と、追い続ければ際限なく膨らむ部分があります。

その境界が見えてくると、欲に対する付き合い方も変わってきます。

「足るを知る」は、我慢することではなかった

よく「足るを知る」という言葉があります。

以前は、これを「欲張らないように我慢すること」のように感じていました。

しかし、今になってみると少し違うのかもしれません。

本当に満足した経験があるからこそ、

「もう十分だ」

と思える。

欲しいものを我慢しているのではなく、

「これ以上追いかけなくても、自分はすでに満たされている」

という状態です。

これは外から見ただけでは分かりにくいものです。

同じ「物を買わない」という行動でも、

「お金がないから買えない」のか、
「欲しいけれど我慢している」のか、
「そもそも必要性を感じていない」のかでは、心理状態がまったく違います。

自分の場合は、少しずつ最後の状態に近づいてきました。

最後に残るのは「何を持つか」ではなく「どう味わって生きるか」

物欲が弱くなり、金銭欲が弱くなり、性欲も以前ほど意識しなくなってくる。

では、欲が減ったあとに何が残るのでしょうか。

自分の場合、まだ答えが出ているわけではありません。

ただ、少なくとも、

「もっと持たなければ」

という方向から、

「今あるものをどう味わって生きるか」

という方向へ、関心が移ってきた感覚があります。

物は借り物。

お金は生活を維持するための道具。

性欲は発生することもある身体的な欲求。

どれも人生には必要なものですが、人生そのものではありません。

そして、どれだけ欲を満たしても、最後には何も持っていけない。

そう考えると、

「もっと欲しいものを手に入れる」ことより、「すでにあるものをどう味わって生きるか」のほうが重要なのではないか。

そんなふうに感じるようになりました。

欲がなくなったというより、

欲に人生の主導権を渡さなくなった。

物欲→金銭欲→性欲という順番で起きた変化を振り返ると、自分にとっては、そんな表現が一番しっくりきます。