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人生というRPGは「敵を倒すゲーム」ではなく「出現率と意味を設計するゲーム」なのかもしれません

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人生をRPGとして見るとき、多くの人は「レベルが上がっていく仕組み」に目を向けるものです。

でも少しひねって考えてみると、本当に面白いのはそこではなく

「そもそもこのゲーム、エンカウントの設計がプレイヤーごとに違うのではないか」という点だと思いませんか?

たとえば、ファイナルファンタジーXIIのようなゲームでは、敵がフィールド上に見えていて「戦うか、避けるか」をプレイヤーが選べます。

つまり、ある程度は“モンスターの出現率を自分で調整できる世界”になっているわけです。

これを人生に当てはめると「トラブルやストレスも、ある程度は設計できるのではないか」と思えてきます。

無駄な人間関係を減らしたり、消耗する環境から距離を取ったりすることで、実際に“戦闘回数”はかなり変わってきます。

でも、ここで少し面白い逆転が起きます。

戦闘を減らせば減らすほど、なぜか経験の密度まで薄くなってしまうことがあるのです。

これ、不思議だと思いませんか?

そしてもう一つ、多くの人が自然に信じてしまう誤解があります。

それは「年齢=レベル」という感覚です。

確かに時間は経過しますし、プレイ時間は増えていきます。

でも、それがそのまま強さになるわけではないのは、直感的にも分かるのではないでしょうか。

むしろ本質は「どんな敵と遭遇してきたか」「その戦闘をどう処理してきたか」という履歴のほうです。

同じ30歳でも、避け続けてきたキャラと、何度も厄介な戦闘を乗り越えてきたキャラでは、同じステータスには見えないと思いませんか?

ここでRPGのシナリオ構造を思い出してみると、クロノ・トリガーやペルソナ5のようなゲームでは、イベントの順番や意味があらかじめ設計されています。

プレイヤーはそれを体験していく立場です。

でも人生は少し違っていて、イベントは起きるのに、その意味は最初から付いていません。

同じ出来事でも「失敗」と呼ぶこともできれば、「転機だった」と後から解釈することもできます。

この構造、少し不思議だと思いませんか?

RPGでは意味が先にあって体験が後に続くのに、人生では体験が先にあって意味が後から生成されるのです。

そうなると「正しい進め方」を探すという発想自体が、少しズレているのではないかと思えてきます。

なぜなら、そもそも最初から正解ルートが用意されているわけではないからです。

  • この戦闘は受けるべきか、それとも避けるべきか
  • この出来事にどこまで意味を与えるべきか
  • そもそもこれは戦闘として扱うべきなのか

こうした判断の積み重ねでしか、進行は決まっていきません。

結局のところ、人生というのはかなり特殊なRPGなのだと思います。

プレイヤーとして操作するだけではなく、同時にシナリオを書き換える役割まで渡されているゲームだからです。

そしてここが一番ひねったポイントだと思うのですが、経験値というものは最初から存在しているわけではなくて、あとから「これは経験だった」とラベル付けされていくものだと思いませんか?

そう考えると人生とは、プレイするゲームというよりも、プレイしながら意味を編集し続けるセーブデータそのものなのかもしれません。

参考までに。