それはどれだけお金を注ぎ込んでも買えないもの。
全ての物・出来事・人や生き物との出会いによって発生した自分の感情は
良かったなと感じた時・幸せを感じたポジティブな記憶や学んだ教訓を思い出すきっかけのために存在している。
リセットする前はとにかく現状を変えたかった。
物を手放し、仕事を辞め、交友関係から一歩引くように身を置いた。
それによって行動を変えることに成功した。
頭の中で渦巻いていた心の声、自分自身と向き合うことにした。
その後は一歩さらに進むために知るべきこと・知りたいことを調べ始めた。
自分が歩みたい生き方とは何か、家族とは何か、お金とは何か、
人の死に様に生き様が現れるように、今後の生きるための道筋を立て始めた。
- 無理なく娯楽として取り組める労働
- 子供の成長を目に入れて共に過ごせる今しかできない有限な時間
- 収入源となるお金の流れ道の分散化
- 質素倹約により生まれた使わないお金と生活防衛資金の確保
物を手放していた当時は、どれだけ思い出の詰まったものであっても所有することへの執着を取り払う必要があるかは手放してからでないとわからないと決め付けていた。
今になって思うのは、写真にして保存しておいてよかったが何年か経過した後にまたその写真を見返すと
「あの時、大切な物までなんで手放したんだろう?」と言う気持ちが込み上がってきた。
まぁ、ほんの一瞬だったけど。
ちなみにそれは小さい頃からいっ時も離さないでいたほど愛着のあったぬいぐるみだったんだけど、これはもうお金を払ってどうこうできる次元の話ではないからね。
「ないものはない代わりに、大切な記憶は消えない」
って受け止められたから問題ではなくなった。
物を持つことに関して改めて考えると
かけがえのない記憶を残すための手段の一つとして物を持つことは、その記憶を思い出すためのきっかけになるし、それによって幸せを実感しやすくもなる。
もし仮に今からゲームをやりたいと思ったとする。
お金を使って減らしてまでやるのを避けたい場合、やらない人から貸してもらってやるのもいいし、中古品を安く買ってまたやらなくなったら買値が回収できるほどの価格で手放せば、0円でゲームをやる機会が得られることになる。
これは商売ではないから不要になったから手放すだけで、お金の面で気にすることは皆無だ。
そもそも買値が安ければ、その値段でゲームをやれたんだから回収できなくても何ら問題ないよね。
たとえ最新ゲームの新品であったとしても、感覚的には同じ。
ゲームをやった経験が記憶に残るわけだからこれは消えない。
何ならそのゲームを元に脳内妄想を展開して情報を広げてリアル感覚で没入するくらいまで目を閉じて脳内で遊べばいいよって言う。
そうして没入した脳内妄想ゲームですらも、自分の実体験の記憶として残るわけ。
ここから得た着想などを元にアウトプットして、絵を描いたり音や文字に表現するとアート作品の創作活動に繋げられる。
自分からしたら自分の作ったコンテンツ、他人からしたら他人が作ったコンテンツ
って認識で線引きが生まれるよね。
人生をリセットする過程でこんな気付きを得られたし、自分にとって価値のあるものは物自体よりも、その物を通して得られた感情によって生まれた記憶だと実感できたのはとても嬉しい発見だった。
参考までに。