「いい加減、見つめ直せ」と。
「このままでいいのか?」と。
「本心に沿って素直なまま生きなくていいのか?」と。
愛の形って様々です。
友達に彼氏彼女や親子・家族に上下と横の繋がり。
昔からの付き合いでただただ年を重ねたに過ぎなかったりしますよね。
これって意外にも見落としがちですが、子育てにも同じようなことが該当します。
何をもって愛情と呼べるのか。
ここに正解はないものだと僕は考えていますが、おおよそイメージできるのは見返りを求めない無償の愛というものでしょうか。
単純に冷め切ってしまっただけに過ぎないのかもしれませんけどね。
昔はお互いの愛を確かめ合うように愛し合っていたからそれが結果として子にも恵まれ家庭を持つに至った家族愛。
親と接することしか知らなかった幼い赤子が成長するにつれてだんだんに外の刺激を受け変化しそれでもなお存在する親子愛。
何かの行動や発信を通してその働きに感銘を受け、赤の他人なんだけど応援したくなる奉仕愛。
ホントに愛の形は様々ですよね。
しかしながら、
物が経年劣化するのと同じように
その愛も繋がれた愛でしかなくて
愛が芽生え始めた時よりも劣化しているかもしれない。
ひょっとすると成熟されているかもしれない。
感覚としてはとっくの昔にゴールを迎えていたけれど、それに気付いていなくて今も変わらないことを明後日の方向に向けて続けているだけのよう。
描いた景色が色褪せていくようなもので。
とはいえ、
どんな状況に身を置いてるにせよ
最低限の責務を果たす必要があるのはもちろんのこと。
子を持つ親であったり一度引き受けた仕事であったり、どんな関係性があるにせよやるべきことは果たすべき。
仮にできないとしても、うやむやにせず即座に決断すべし!
しかし、
その役割は他ではなく自分にしかないってことを忘れてはならないです。
そして、それを乗り越える一例としては
心の中で対象となる事柄と一定の距離を置き保つことで解決できたりします。
対人であれば相手の話し方が気に障ったりする時がありますよね?
僕の場合、キツイ口調や汚い言葉を耳にすると心が痛みますw
いわゆる豆腐メンタルってやつですね、はいw
とまぁ、そんな人もね、世の中には存在しているので
相手に対しても
そういう一面「も」持っている人だから
と受け止める。
感情を剥き出しにして相手を非難するのではなく、音沙汰がないようにスルーして交わす現代的生き方とでも言いますか。
そうやって生きていく道中でリアルタイムに実体験で学んでいくものなんですよね。
己の責務を果たせ!なんて学校では教えてくれないですからね、本当にw
これを機に改めて愛の形について考えてみたらいいですね。
ご参考までに。