食器の後片付けよりも夢中になれる何かが子供にはあるということ

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「このお皿は誰が使ったもの?」

「シンクに置いてけぼりだけどそのままで良いのかな?」

と、いうのは優しい方でw

雑にいえばご飯を食べ終えた食器はそれを食べた人が洗うんですよ、と我が家のルールがあります。

幼いうちから自分のことは自分でできるようにすることで自立心を養う目的があって始めることにしたんですね。

高学年になるにつれて少しずつと自我が芽生えてきてハードルは低いはずのルールが守られなくなりました。

食器が置き去りにされていたら子供にその都度確認することで自分で洗うことをするに至っていたものの、まぁ上手くいきませんわなw

こう何度も何度も確認をとることでわかりきってる結末しか見えてこずでして。

いい加減上手く片付けができるように仕組み化する方法はないかなと思いその結果、敢えてこちらからは何も言わず子供自身が気付くまでそっとすることにしました。

オペレーションする身にもなるとわかるんですが、意っっっ外とエネルギー消費激しいですからねw

これはつまり僕が言ってることを子供が理解して自分で食べ終えた食器をきっと片付けくれるだろうと期待していたってところがあるからでしょうね。

あ、こんな感じで置き去りにされてます食器w

フルグラでも食べたのかな?とまぁ可愛らしい木のスプーンw

そんな後片付けをせずに子が何をしているかというと、スマホを触ってましたw

YouTube動画の閲覧が当たり前になってますからね。

一日の中でめっちゃ楽しそうですもん。

夢中になって見ている時に笑い声を上げてたりするほどw

こういう場面はどこにでもありそうで当たり前の日常のようなんですけどね。

子供の笑う姿からキッチンに目をやるとシンクに置いてけぼりにされた食器がある。

僕からしたらうちの子は何年経っても身長が越されようともヒゲが生えようとも何歳になってもずっとずっと親子の関係であるわけで。

徐々に大人になるにつれることを考えると

今この瞬間は11分と流れていってるわけだから子供のやりたいこと、夢中になれること、ありったけの楽しみを尊重して穏やかに生活が過ごせるように在るべきだよなと感じました。

そもそも食器洗い程度のことで毎回毎回口を挟まなくてもよくないか?と。

僕自身が子供時代、親に何度も同じことを言われて「ああ、うっせぇわ」と何度も心に刻んできたかと思うとここで反省。

人生なんでもブーメランですわw

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