ミニマリスト時代を経てスプレーアーティストになった時の話②

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読者のみなさん、こんばんは!norimisoです。

今回は前回書いた記事の続きをお話しします。前回の内容を凝縮解説すると、自分の部屋をとことん好きなようにレイアウトしまくって、虚無感さえ感じてしまったんですね。しまいにはもうこの状態を断とう!なんて決断するところまでお話ししました。

それでは続きをお話ししていきます。

総てのものは借り物

ありとあらゆるものを手放し、心の底から空白を実感し身軽になりました。大好きだったものを手放す時ほど苦しかったり悲しんだりしますよね。

どういう心情だったかというと、物っていつかは壊れ、劣化していくじゃないですか。たとえ頑丈な箱にしまって置いたとしても、少しずつ劣化していくわけで。所有者である自分自身が、いつ命を落とすかもわからなくて。

そう考えられた時、物をずっと持ち続けることはできないって認識できたんです。これってレンタルサービスじゃない?ってw

自己満足の果てに到達した虚無感を経て、自分の答えは総てのものは借り物だと悟りました。

唯一残ったものは家族と記憶とからっぽの部屋

手放したものって言ったら綺麗に聞こえますが、言い換えると捨てたもののことです。いくつか挙げてみます。

手放したものリスト

  • 小中学の卒アル
  • 大好きな数々のバンドのCDやグッズ
  • 幼い頃から一緒にいた思い入れのあるトラのぬいぐるみ
  • フィギュア
  • 先の尖ったかっこいい靴 とんがりですね!
  • スタッズでヴィジュアル系っぽくアレンジした黒いジャケット これ着てライブ出演してたなw
  • 服 言ってしまうと1、2着のフルセットがあれば充分です。 ※冬はホームセンターにある暖いロンTとスパッツ、ユニクロのフリースとライトダウンジャケットで攻略できます。
  • 楽器 ギターにベースにシンセ、ワイヤレスマイクもありました。ワイヤレスマイクに至っては結局ライブで使わずにという残念な結果に。

他にも多々あるんですよ。食生活なんかも変わり始め出して。ジャンクフードを食べたいと思わなくなったり、甘味も一切摂らずに。食べずに人は生きられるのか?とか自分を実験することに興味を示したりしました。

そこからですか、1日1食の食スタイルが確立されたのは。あ、話が脱線しそうですねw

大好きなものは所有していなくても記憶に残っていれば充分で、健康に生きるために余分なものは摂ることをやめて、1日1食に切り替えました。

だいぶストイックかもしれませんが、当時はこの生活ぶりが幸せだったんですよ。今も今で幸せですがw

愛する妻と子供たちがいて、大好きなものは消えない限り記憶に残り続けて、汚部屋は引っ越してきたばかりのからっぽの部屋になりました。

からっぽの部屋に残したもの

からっぽと言っても家全体を見渡すと物はありました。家族でいる以上、自分の部屋を対象にが前提です。今では妻も「これ必要?」って確認をいただくばかりですw

残したものリスト

  • スライド式のガラケー
  • ノートPC
  • 妻と子供たちの成長過程アルバム
  • 妻と付き合っていた時にもらったもの
  • Skype友達からもらった本 ロシアとドイツのお友達です!
  • 服 2着フルセットのみ
  • 靴 一足
  • メガネ もう掛けていないw
  • ダーツ 大親友とよく遊んでいました!むしろそのために残していたようなもの。

高さ無制限、畳1畳分までは許容範囲ってルールを定めていてこれだけの量となりました。

多いですか?少ないですか?自分にとって必要最低限のものがこの範囲だったんで、今は今でライフスタイルが変わり、物を持つ許容範囲も変わってきました。

この話の続きはまた次回にw

今日YouTubeに上げた作品をのせて置くので、良かったらチェックしてみてください。iPhoneで描いたデジタルペイントアート作品です。

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