今の時代、欲しいからと言って、自分の手元にないものを他人に求めるだけではあまりにも非効率だ。
「お前には何か提供できる価値を持っていないのか?」
相手が求めてるのは労働力や願望つまりは欲求不満の解消だったりする。
スキルがなければ時間の提供先を探すか、スキル習得に時間を割く必要がある。
残念ながら物乞いする人が減らない状態というのはその国の経済状況ないし生まれ育った個人の家庭環境から形成されることになる。
それと同時に金品や食料を与えたい人が少なからずいるから。
困っている人に与えることで自分は善良なる人間だと感じたいからなのか、はたまた過去に同じような境遇を経験した身から湧いた気持ちの表れなのか。
しかしながら、体を動かせない人の辛い気持ちは痛いほどわかる。
働きたくても働けない、その仕事がしたいかどうかではなくて、必要最低限の生活を送るためにお金を稼がなくてはならないという心の状態が働かなきゃと己の心を焦らせるからだ。
その場凌ぎにはなるが少なくとも現在収入手段がある状態なら、返済計画さえ立ててしまえばこういった方法も奥の手として頭の片隅に入れておくと役に立つこともある。
貧困状態を根本的に解決したい場合は
貧困者自身が持ち合わせている価値、今時点で他人に提供できる価値の洗い出しをすることが非常に有効的である。
−どんなスキルがあるか?
料理が得意。
絵描きが得意。
掃除が得意。
英会話が得意。
−得意ではなくても、
料理ができる。
絵描きができる。
掃除ができる。
英会話ができる。
−仮に今はできていない状態にあっても好きな気持ちがあるとそれは大変強みにもなるので、
料理に興味がある。
絵描きに興味がある。
掃除に興味がある。
英会話に興味がある。
スタートラインはこれでも何ら問題ではない。
心底貧困状態な人に大切なのは、「この現状を変えたいと願う心、貧困から脱することを諦めない心」があるかどうか。
誰も彼もあなたを責めたりはしないし責めることはできない。
それもそのはず、責めた所で貧困から脱せるわけでもないし責めた人間が生活保証してくれるのか?って話。
責めること自体がお門違いだからだ。
今まさに生活苦で辛いけれどどうして良いかわからなければこちらの作品をおすすめしたい。
現代日本では考えられない作風だが必ずしも近い将来で起こらないとも限らない。
フィクションの世界であれ、似たようなことは現実世界でも起きてたのは歴史が教えてくれた事実。
決して他人事ではなく自分事として目を向けてほしい。
自分には何もできないからといって文字通りに何もしないでいると一日が経つのはあっという間。
マジでお金がなくてスキルもコネもないでも借金ならあるって人は今この瞬間から一日の送り方を、生活の送り方を変える必要がある。
あなた自らが現状を変えたいと心底願い、それを行動に移さない限り、何も変わらずにずっと貧困したままが続くだけだから。
動き出そう。
そして人生を今ここからやり直そう。