本来無一物 –命さえあれば誰もがやり直せる– と、信じてる

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人間関係・学校・仕事・私生活で失敗ばかりして生きることに疲れてしまったあなたへ

本来無一物をベースに物事を捉えると、今より少しだけ目の前の現実を生きやすく変えられるかもしれません。

この本来無一物、僕の大好きな言葉なんですが、勝手な解釈をすると

本来目の前にあるモノは何一つ無くて、無いなら執着する必要もないですよねって。

これがないとダメとかこうじゃないとダメとか、あまりにも執着し過ぎると自分がダメになってしまうんですよね。

19歳の時、音楽活動にのめり込んでいたんですが、一生使う楽器だからって投資理由をくっ付けてローンを組んで買ったものの、拭き掃除するばかりで全く触っていなかった記憶がありますw

一生と言ったって人はいつ死ぬかわからないし、そもそも使えば物理的に劣化していくのに、使わずに劣化させてしまったわけですよ。

最終的にはその大切だったモノに所有者自ら不要なモノと格付けをして必要な人の手に渡したわけですけど。

人の言う一生なんて言葉は、子供が親に欲しいモノをねだる時の「一生のお願いだから」と言って1週間も経たない間に触らなくなるのとなんら変わりがないって、使わなくなった日が続いてから身を持って実感しました。

そのようなことを繰り返した果てにはモノに対しての執着が一切なくなりましたw

iPhone一つを取っても自分のモノと思わなくなったんですよね。僕はモノ全てに対して借り物と認識しています。いつ壊れて無くなってもおかしくないし、それによって自分が苦しくならないようにするために捉え方を変えたんです。

かと言ってモノを雑に扱うわけじゃなくて、大切に扱っています。愛着あるとボロボロでもアップデートしなくて良いかなと思えるじゃないですか。

今はスプレーアートが大好きでやっているから大量の缶スプレーやスプレーアート道具を所有していますが、それでもより少ない道具であらゆる表現ができれば本望かなと思っているくらいです。

スーツケースにスプレーアート道具を目一杯入れたらそれはとても重たくなるわけですよw

大好きなモノやそれまで生活するのに欠かせなかった必要なモノが無くても、無くなったとしても究極を言えばこの一言で大半のことは通過できます。

命さえあれば、誰もがやり直せる。

と、僕は信じて生きています。

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