できるじゃなくてやるのか。
苦しみの渦中にいる人は何も貧しい人だけとは限らない。
いつも笑顔を咲かせて生活を送っている人でさえも、何らかの苦しみを背負っているのは言うまでもない。
国の法律に違反することがあれば人生は生きづらくなるし、かと言って海を跨いで生活を営むフィールドを変えたところでまた新たな法律に従って生きることになる。
苦しみとは何か。
くるしみ【苦しみ】
読み方:くるしみ
苦しむこと。苦痛。つらさ。「産みの—」
つまり苦痛ですね。
生まれ育った環境が極端に貧しく、親が病弱で寝たきりで働けなかったりすると今日食べるものさえもありつけなくなる。
それを毎日目にする子供は、何とかして親の病気を薬で治してあげたいがためにまた、今日食べるものを得るために自らの手で法律に違反することをしてしまうことも。
※あ、この極端な例は最近映画を観たのでそこからの気付きになりますw
極端に貧しい家庭環境で生まれ育った子供は、似たような境遇の者同士で居場所を作り始めたりすることもあり、それが社会にとって脅威となる芽に変わり果てることもあるんですよね。
親に対する子供に優しさがあったとしても、その表現方法が偏って歪んだ方向に向いてしまうのは親を含めた他人とのコミュニケーション不足や教育の欠如があるからとも考えられる。
そのまま成長していった子供はやがて大人となり、大人となったことでさらに生きる道をさ迷い続けることに陥りかねない。
苦しみから解放される未来なんてきっと来ないですよね。
運良く法律に違反することだけはしなかったとしても、これまで歩んできた記憶を振り返り人生に絶望し、自らの生を生きることを諦め、誰とも関わることをやめ、社会からドロップアウトし、挙げ句の果てにはマイライフファイナルフィナーレを迎えることをただ待ち望むだけ、そんな人生はなくもないですからね。
こう言ったケースはかなり珍しいかもですが、「自分の心に素直になり、自分らしく生きること」を決意し、その結果として「小さく生きること」にしたのなら?
誰にも迷惑を掛けずに、それでも他人には親切心を与えたい気持ちがあるから表面はやっぱり良い人に映ってしまうだろう。
それは悪いことではないし、むしろお互いにとって気持ちの良いことのはずです。
持論ですが
人は自分が何らかの苦しみから解放されるためには、潔く諦めることと親切心を他人に分け与えることで解決できると考えています。
潔く諦めることと言うのは、苦しみから解放されなきゃいけないと考えることをやめる・諦めることです。
自分の能力でどうにもならないことはもう諦めるしかないんですよ。
ただし、自分でよく考えた上で至った決断に限りますね。
他人に相談しても無理なこと、伝えることすらも嫌なこと。
むしろ伝えることで人間関係をぶち壊してしまう恐れがあること。
そんなの絶対的に嫌ですよね。
腹を割って話すとかありますが、疎遠になった経験があるんで人によってはおすすめできないですよ、あんなの。
そもそも自分の人生のことで頭がいっぱいで、他人と何も築いて来なかったからもう何もなかったり、なんてことも。。
その果てで出てきた自分の答えが潔く諦めるであればそれがその時の最適解であり一番楽になれます。
親切心を他人に分け与えることは、無一文の貧乏人でも今すぐトライできちゃいます。
お金はないけれど、親切心ならいっぱいあります。
他人を笑顔にしたい。
と言うか、他人の役に立ちたい。
気取らず・さり気なく・優しさを振り撒いて、相手を笑顔にさせたら目標達成!
その気持ちに満ちてさえいれば実現可能ですよ。
その親切心を他人に分け与えていきましょう!
具体例は
お店に入ろうとしてる人がいたらドアを開けてあげたり、街中で車や自転車で走行中に相手車両に道を譲ってあげたり、など。
それに合わせてニッコリ笑顔で会釈すると効果は絶大ですよ!
共通点はどれも心の余裕がある時にできることですね。
よくある巡り巡ってと言う恩送りなんですが、親切心って、分け与えた時点で相手も自分も即時にハッピーになるのだからやらない手はないんですよね。
お金を余分に持っている人も場面に合わせて、あえてお金を介さないで他人に親切心を分け与えることにトライしてみる価値は十分あります。
だってお金でこの経験はいくら払っても買えないですからね?
参考までに。