学生生活を終えて人生の違和感に気付くまで10年。
ここまで来るのにあまりにも長過ぎでした。
最愛のパートナーと一緒に居られてかけがえのない家庭を築くに至った。
幸せの一つのカタチ。
正直、
自分にとって25か28歳が人生のラストシーンかと思いつつも気付けば30歳を越えていた。
ある意味で今が人生の底地であり、遠回りしてきた結果だからこそまだ見ぬワクワクに駆け出せる足の存在を知ることができた。
そして、自分でもその足を踏み出せるようになった。
勉強嫌いだったあの少年が、興味あることには夢中になって身に付けられたこと。
それこそが自分史にとって意味のある最大の勉強だってこと。
自分の中ではまだ生きていると思いもしなかった今というこの時間が、
死後の世界だと仮定したならどうだろう?
冒険の続きがまだ観れるって感覚はとっても面白い。
死んでしまったはずの主人公に実は生存ルートが用意されていたのだから。
ちょっと盛り過ぎましたねw
10年も見過ごしてきた人生の違和感について
言うまでもなく、
自分はなぜ働いているのか?
何のために働いているのか?
なぜ正社員でなければいけなかったのか。
何のために正社員を選択したのか。
愛する妻と未来の子供のためだ。
いやいや、それは間違ってはいないんだけども。
30代の僕からすると当時の僕は単純に無知なだけだった。
社会に何の興味もなく、ただ漠然と進学するよりもお金を稼げば自分と妻子だけで暮らすことができる。
親にとやかく言われることもなく、好きなように自由な家庭を築ける、と。
結局、会社に勤める以外の進路選択は当時の僕にはなかったので大好きだったバンド活動を諦めそのままサラリーマンライフに勤しむようになった。
子供に恵まれて育児が始まり、と同時に会社生活に適応できなくなり休むばかり。
家庭の都合で休むことが理解できない職場だったからそうするしかなかった。
出勤しては噂され居づらくなりトラウマになり休む連鎖。
会社の前まで来たのに温泉のサウナで1人反省会。
「俺は一体何をしているのだろう。」
サウナで汗を流すことで自分の本心に寄り添う、そんな日々が多くなってきた。
当然のことながら収入は減り、家計は苦しむ一方。
もちろん、毎月の支払いができなければ家族生活はできなくなる。
地獄でしかない。
そこで考えたやるべきことは一つ。
この時、音楽機材以外に初めて、銀行にお金の相談に行くようになった。
生活を一時凌ぎし、引っ越しをして固定費を削る。
削れたものの、マイナスが積もることには変わりない。
「あぁ、何のために生きているのだろうか。」
「何のために誰のために。」
絶望からの転機、フリースタイルな生活へ
こんなカオスな状況を一度全てリセットしようとゼロから物事を考えることにした。
いわゆる「手に職を付けよう!作戦」が思い付いたのだ。
それと併せて「無一文からお金を稼ぐにはどうしたらいい?」と何にもない状態からの人生攻略方法を考えるに至った。
結果としては、路上パフォーマンスをして生計を立てる。
その瞬間が人生のターニングポイントだった。
この路上パフォーマンスを毎日やってみて何か成功する法則などが見出せるかもしれないと密かに抱き、国内を1人旅する決断をした。
旅は中断したものの、収穫はあまりにも大きかった。
自分に興味を示してくれる人がいたってことと、人の温かさ。
それは優しさの塊で。
雇われた箱の中のサラリーマン時代には到底考えることもできなかった出来事だった。
人見知りでもあった自分が路上に踏み出すための勇気と覚悟。
「やればできるじゃん!」
そうなんですよ、当時の僕がいたからこそ今の僕で在るわけですw
そこから今度は自分の意志で旅を中断することにし再就職を果たした。
しかし、この時に世間を世界中を混乱の渦に陥れたコロナ禍に突入したわけですね。
勤めていた会社のコロナ禍での取り組みに危険を感じ意見するも理解されず。
自らの意志で会社を去る決断をした。
と、ここで旅を再開するかと思いきやしませんでしたねw
このタイミングで自分の今後の生き方、家族生活について、そして活動の在り方についてじっくりと考える時間を設けることにしました。
改めて何をしたいのか、何がやれるのか、何はやりたくないのか、働くとは何か、お金とは何か、幸せとは何か、家族とはどういうものか、何のために、誰のために、、、
頭の中の全てをからっぽになるくらい白紙に書き出して、脳内整理とありのままの心を見つめ直したんです。
死んだも同然の今なら、誰かの代わりになれることを自分のできる範囲内で手伝ってみようと思えるようになれた。
人生はフリースタイル。
あなたが何を言うのもフリースタイル。
あなたが何に幸せを感じるのもフリースタイル。
何人も何かの奴隷になる必要はなくて。
あなたの人生はお咎めなしにフリースタイルで良いんですよ。