「あのときちゃんとやっていれば、今ごろ違う人生だったのかな」──そんな感覚について、少し整理してみます。
高校時代のことを思い返して、「もっと勉強しておけばよかったな」と感じることってありますよね。
ただ、その一方で当時の自分を振り返ると、こういう気持ちもあったはずです。
正直、勉強にはあまり興味がなかった。それよりも、早くお金を稼いで、自分の生活を始めたい気持ちのほうが強かった。
だからこそ今になって、「あの選択ってどうだったんだろう」と考えるわけです。
もしあのときちゃんと勉強していたら、今とは違う人生だったんじゃないか
でもこの感覚、少し分解してみると見え方が変わってきます。
目次
当時は「やらなかった」のではなく「選んでいた」
まず大前提として、高校時代に勉強しなかったのは、単なるサボりとは少し違います。
興味が薄くて、優先順位が低かった。それよりも現実的に「働くこと」や「生活を作ること」に意識が向いていた。
つまり、その時点ではちゃんと“選択”をしていたんですよね。
別の人生はあった。でも「上位互換」とは限らない
もちろん、もし勉強をしっかりやって進学していたら、違うルートはあったと思います。
例えば、学力が伸びたり、選べる仕事が変わったり、環境が変わった可能性はある。
これは否定できません。
ただし同時に、そのルートにはそのルートの負荷があります。
長く勉強に時間を使うことになったかもしれないし、早く働く選択は遅れたかもしれない。
つまり、「別の人生=今より良い人生」とは限らないということです。
今困っていないという事実はかなり大きい
ここも重要です。
今の生活で特に困っていないのであれば、少なくともその選択は大きく失敗していないということになります。
もし本当に問題のある選択だったなら、今の仕事や生活のどこかに支障が出ているはずです。
モヤモヤの正体は「想像できるようになった別の自分」
大人になると、「別の人生だった自分」を想像できるようになります。
ただ、そのときに見えているのは、どうしても“うまくいっていそうな未来”だけなんですよね。
実際には、その別ルートにも別ルートのしんどさや停滞はあったはずですが、それは見えにくい。
結局のところ、後悔ではなく価値観の変化
少し視点を変えると、この違和感は後悔というより「価値観が広がったこと」に近いです。
当時は「自立や収入」を優先していた。
今はそこに「知識」や「別の可能性」という視点も加わっている。
だからこそ、「あの選択はどうだったんだろう」と見直したくなるわけです。
最後に
人生は「どちらが正解だったか」を比べるものというより、「その時の自分が何を優先したか」の積み重ねです。
別の人生は確かに想像できます。でもそれは、今の人生を否定する材料にはなりません。
参考までに。

